幸せなこと
今日も今日とて、疲れた体を電車に委ねてガタンゴトン、大好きな彼女の待つ家に帰ります。
ひとつ前に書いたブログを読み直したら改行がなくて、文が長くて非常に読みにくかったなぁと反省しました。
しかも、やっぱり今読んでも自分が本当にこんなことをしたのだという実感がないのです。
ODって怖い、お薬って怖い。
ちなみに、ちらっと書いたけれど私には正式な病名がありません。 いや、ほんとはあるのかもしれないけど教えられていません。
昨日書いたドタバタの時に医師から書いてもらった紹介状には記載されていたのかな、とか自立支援医療制度を利用するために書いてもらった診断書には書いてあったのかな、とか色々思うけど、見ていないのでわからないなぁ。
ひとつめの病院ではPTSDと言われ、 ふたつめの病院では躁鬱(?)と言われ、 今はなにも言われず。
確固としているのは不眠症ぐらい。
今でこそ認めざるをえないと思って受け入れているけれど、自分が心の病といわれるものになるとは思っていませんでした。
気分の波は誰だってあるし、眠れない夜も誰にでもある。
それが続いているだけで、少し経てば元に戻る、そんな感じでした。
でも、なんだか頭の中がモヤモヤして、それがどんどん広がって、私自身が何処にあるのかわからなくなって、
どんなに目を閉じても眠れなくなったり、急に涙が出たり、過呼吸を起こしたり。
変だなと思った彼女が、病院に行くことを勧めてくれたから行ってみたものの、私は病気じゃない。
ずーっとそう思っていました。
それでも薬を飲んだら眠れる日が増えたり、 頓服を飲むと落ち着いたような気持ちになったり、 なんとなく薬が効いている実感はあって。
けれど、まだ薬には抵抗がありました。
落ち込んでモヤモヤしている日々はすごく辛くて、どうしようもなかったけど、
薬を飲んだらそういう気分が晴れて前向きになれるなんて信じられなかったし、
なにより落ち込んだり悩んでる私自身という個を、根底から覆されてしまうことに恐怖があります。
薬によって思考が変えられた私は、果たして本当に私なのか、その答えは今でもわかりません。
さらに、私は私の見た目にすごくこだわりが強いので、抗鬱薬を飲むと太るかもしれない、ということにも強い抵抗を覚えます。
抗鬱薬を飲み始めると普段通りの食生活でも、太ってしまうと思うあまり(薬にもよりますし、個人差もありますが)全く何も食べられなくなり、1日を通じてミルクティーをマグカップ1杯。
それだけでも、罪悪感にかられて泣き出す始末。
1日200kcal以下と無茶苦茶な決まりを作ってみたり、自転車で25分かかる道のりを歩いて帰ったりと極端。
こうやって書いていると異常だと分かるのに、その当時はどうしてもそうせずにはいられない強迫観念がありました。
結局、この時は家のお風呂で貧血で倒れ2時間ぐらい気分が悪くなり、抗鬱薬を飲まないことを条件に、なんとかご飯を食べて終了しました。
そんなこんなで何度かチャレンジした抗鬱薬はどうしても続けられず、すぐにリタイアしてしまいました。
なので、私がはっきりと鬱病ですと医師に告げられたとしても、今の対処療法的な処方に変更はないと思うと複雑な気分にもなります。
同時に、最初は一錠だけ短時間作用の、眠剤のみで眠れていたのに、ミリ数が増え、作用時間が長いものとの組み合わせになり、さらにミリ数が増え、となっている現状にも悲しくなります。
ハルシオン1錠でぐっすり眠れていた私に、 そもそも、薬なんて飲まなくても眠れていた私に、 いつか戻れる日が来るのかな。
私のこだわりのためとはいえ、病気への積極的アプローチ的治療もなく、漫然と眠剤を飲んで暮らす日々は本当に辛く、未来の見えない毎日です。
それでも、どうにかこうにか、毎日のように彼女のいる家で愚図りながらも、 週に4日前後、働いています。
正直言えば、もう疲れてしまって でも、これ以上辞めるっていう失敗体験を重ねるのも怖くて、
いろんな恐怖を天秤にかけてマシだと思える選択をしている毎日だけど、
彼女が迎えに来てくれて、自転車の後ろに乗って(危ないからやっちゃダメだけど。)背中に顔を預けている時や、 手を繋いで家路を歩く時は、幸せだなと思います。
彼女こそが私のエネルギー源であり、
生きる理由であり、
幸せの在り処だな、と重い女なのは承知で心の底から思います。
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そんなこんなで
24歳メンヘラ独身ニートだった私は 24歳メンヘラ独身フリーターへと昇格して、 日々バイトに勤しんでいます。
1円も稼いでいなかったほんの2ヶ月前、 私の調子は最悪で。 というか、その少し前、5月半ばにはガタガタに崩れていました。
5月9日、大切な友達の結婚式の前々日?、その時通っていた病院の通院日がきっかけでした。
その頃、やっていたバイトが11-22時で家に帰ると23時過ぎ、なんやかんやしてると寝るのがどんなに早くても1時、起きるのはどんなに遅くても9時、という状況。 実際はもう少し寝るのは遅く、起きるのは家事のため早く、睡眠はmax6時間とれるか、くらいでした。 そんななかで不満で寝つけない毎日、超短期型の眠剤では2時間もすれば起きてしまうけど、長時間作用するものは起きれなかったらと不安で飲みたくない、と相談したのがダメだったみたいで、、 それまで飲んでいたハルシオンもワイパックスも一気に全部中止、次回予約もとりあえずなしでまた困ったら来てください、で終診。
自分がわがままばかり言うのは自覚してたけど、急に全ての薬を打ち切られ、不安と怒りでいっぱいのまま帰宅。
次の日はいつもより長い11-23時勤務、でも飲んでいい眠剤はない、、 それまでの疲れもあって、なんだかもう限界でした。
処方が打ち切られるまでは、気前よくぽんぽん薬をくれる医師だったので、手元には当時眠剤として飲んでいたハルシオンとワイパックスが大量にありました。
もうこれから、この薬は飲まないのなら、とほぼほぼ無意識に薬を次から次へとシートから出し、そのまま飲み続けました。
正直、ODってもっとこうなんていうかメンヘラでも上級者の方がするものだと思ってて、 まさか自分がそんなことをするなんて想像もつかなかった、だけど実際はあっさりとOD。
その後からのことは記憶が飛び飛びでよく覚えていません。 あー怖い怖い。
同棲中の彼女(佐藤は同性愛者です)によると 次の日の朝は仕事に行く時間に目覚めるも朦朧。 目線も手元も足もフラフラ。 仕事にはいくと言い張って準備もぐちゃぐちゃで家から出る。 心配した彼女が付いてくるも、あまりにもフラフラで不審者なので帰ろうと促す。 逃げる。 近くの踏切で飛び込むための電車を待つ。捕獲される。 この後家に帰ったんだろうけどさっぱりわからない、、、
で、夜。 自分で自分の首を絞めて死のうとする。 止める彼女の腕で自分の首を絞める。 パジャマの腕を抜いて袖で首を絞める。 とまぁ、やりたい放題。
手に負えないと思った彼女が、119番通報。 我に帰り入院したくない一心でお願いだから救急車を返してくれと懇願。 救急車はなんとか来なかったが警察にも通報がいっていてパトカー到着。 茫然自失のまま事情聴取。
保護者に連絡ということでそれまでほぼ病気であること自体話していなかった母親に警察から連絡。
とまぁ地獄のような(彼女が)1日?2日?でした。
そして何よりこのほとんどを自分では覚えていないんだからおそろしい。
その後、彼女には猛烈に謝罪しつつ罪悪感だ死にたい気持ちは高まり、 母親には直筆の謝罪の手紙を書き、写メで送るという謎の行動を取って音信不通に。
そして町の明るい心療内科から、 閉鎖病棟つき、入院設備が充実した、紹介状無しでは診察が受けられないような本格的な精神科の病院に転院。 今に至ります。
どうしても入院が嫌で嫌で、 入院するぐらいなら死ぬ、と言い続けたせいか、付き添ってくれた彼女も通院で治療させて欲しいと言ってくれ、なんとか入院派逃れ、 週1ペースで今でも通っています。
もうこの前後1〜2ヶ月ぐらい本当に調子が悪くて、 いろんな迷惑メンヘラエピソードはあるけど、 ひとまず今日はここまで。
こんなメンヘラ女は今からバイトに励んできます。
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初めましてのご挨拶がわりに。
これまでも、はてなブログで色々な方の記事を読み、これからも自分で書くことはなく読む専門だろうな〜とぼんやり思っていたはずが、こうして初めての記事を書いています。
人様に見せられるような立派なことは書けません。
それでも、今私には書くべき理由があり、もしかしたら、万が一、いや、億が一くらいの確率で誰かに役立つかもしれないので。
ブログなんてブームに乗って初めて3日坊主ですぐやめた中学生以来書いたことはないけれど、きっと1記事目には自己紹介なんかをするのかな、と思うので簡単に私のことを書いていきます。
関東近県に住む24歳、フリーターの佐藤と申します。
24歳フリーター、という時点で少し怪しいですが、ほんの2ヶ月前には1円も稼いでいないニートでした。
もっと言うならば、ニートで、いわゆる心の病を抱えていました。
この心の病は今も継続して患っている状態なので、メンヘラ24歳独女というのが私の悲しい肩書きです。
ちなみに、心の病を患っていると言うものの、病名は1年ほど通院した今でも告げられず、自分の病気がなんなのかも分かってはいません。
強いて言うならば、PTSD傾向と躁鬱傾向がある、というのが私の病気なのかもしれません。
私がこのブログを書く意味、それは自分自身の心の内を都度記録して、治療に役立てるためです。
非公開で書くことも考えましたが、同じ気持ちを抱える誰かの励み、にはならなくても分かち合えることがあるかもしれないと言う僅かな希望を込めて公開していくことにしました。
ブログタイトルにあるように、私自身が私の明日が見えず、暗中模索している状態です。
霧の中にいるような日々の中で、少しでもそれが打開できる道が見つかるよう、このブログを連れて長い道のりをマイペースに歩いて行くつもり、そんな佐藤のあれこれを綴ります。